鹿児島在住の画家「山下三千夫」の公式サイトです。新作や個展・絵画教室の情報などを紹介します。
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世の中には様々な性格を持つ絵がある。何となく気取った雰囲気の絵、賑やかな絵、奇妙に謎めいた絵、重々しい空気に満ちた絵、等々。そして、似たような性格の絵でも、子細にながめると微妙なちがいに気付くものである。
山下三千夫の絵の性格は、静けさにあると言える。壁に掛けられていても、どちらかと言えばさほど目立たない。しかし、静かでひかえめな性格ではあるが、一度じっくりつき合ってみると、なかなか奥が深く味わい深い。世に静かな絵は多いが、山下の静寂はやはり彼独自のものである。
ここ数年、山下の絵は少しずつ変化している。数年前までは、目鼻のない人物を配した風景画が多い。それは静かであると同時に謎めいてもいた。細部にこだわらない茫洋とした描写は作品に象徴的性格を与えている。表情のない人物たちは、作者の分身でもあるのだろう。何ものかを求めて逍遙し、あるいは佇む人物は、作者の内的世界を具現化したのものであるからだ。
それがここ数年、花や静物、人の顔へとモチーフが変化している。それまでの夢の世界のような仮想風景から、より具体的なモチーフへと変わってきた。筆法も以前より細密になってきている。作者は野菜や果物の質感をよくとらえている。山下はもともと写実的な描写力を備えた画家である。しかし作者は、これらの静物画において、細密描写に徹する何歩か手前でとどまっている。
例えば、描かれた静物の風景には大きな余白が広がっている。静物は現実的なものたちではあるが、その置かれた空間はどことなく別の次元のように見える。そのため、基本的な作品は数年前も今も変わっていないのではないか、と思われる。具体的な花や静物を山下が選んだのは、描写する時の確かな手応えを求めたためではないだろうか。作者の内的な仮想風景も本来は現実的な風景があって、それを超越するものとして存在していたはずである。しかし、超越的なものを意識しすぎると、時として絵画的なリアリティが希薄となる。内的な仮想風景も花や静物も、作者の身近なものとしてあったし、これからもあり続けるであろう。であるなら、作者が花や静物を選んでも不思議ではない。
絵画的リアリティを回復し、しかし写実にのみ捕らわれるのではなく、具象を超越した世界をのぞき見る。これが山下の目指す絵画であろうと考える。
そして、新作の静物画においては、大きな空間の中に静物たちが肩を寄せ合うようにして描かれている。今までとはちがう、どことなくほのぼのとした雰囲気が感じられる。この変化にこそ、私は今後注目したいと思っている。
鹿児島市立美術館 学芸員 山西健夫